メモをとる授業
メモをとる授業
ちょっと愚痴ります。
今回のスクーリングで通信制高校の先生が生徒たちに向けて話していたので、以下ここに書いても良いと思いますが……。
文部科学省の人に、通信制(高校)では授業でメモをとるのか、と尋ねられたそうです。
その影響のようで、今回のスクーリングでは、1枚授業内容を書き込むプリントを配るということでした。
これは、通信制ではメモをとるようなちゃんとした授業をしていないのではないか、という疑いを持っているんだ、と僕には聞こえました。
ウイッツ青山の事件(ご存じない方で興味がある方は検索を願います)以来、通信制が疑われているのはわかっています。
しかし、それが、メモをとる授業という発想になるとは、少々驚きでした。
確かに僕も高校ではメモをとりました。先生が黒板に書いたことを残らず書いていました。
ほかの方は違うかもしれませんが、その後テスト前になり開くと、字が汚いので読む気はせず、どこがどう繋がっているのか、どういう意味なのかわからなくなっています。そもそも授業は書いているのが精一杯なので、聞いてもいないし理解もしていません。
ただ、無駄に書いていただけ、ということです。
2~3年前に全日制の高校生の話では、今も似たような状況だと言うことでした。
そういう授業をしろ、というなら、やはり文科省のお役人は自分の昔をなつかしんでいても、現場のことはわかってないな、とそんな印象を受けてしまいました。
さて、そして、一方で政府はデジタル化推進などと言っています。
メモをとる授業と、デジタル化。
それは両立するのでしょうか。
どうも逆方向を向いているような気がするのですが、どうなんでしょうか。
ゆいまーる学園でもあまりノートを使うことはありません。
通信制の課題などはノートに書くまでもなく仕上がってしまうし、ノートを使わなくてもテストはほとんどできてしまうし、タブレットに直接書くなら、鉛筆などさえも必要ありません。(だから通信制はノートをとらないのはその通りです。)
ゆいまーるでは通信制の課題だけでなく、実力をつける授業も大学受験対策もやっています。生徒はノートを持っていますが、学習用のワークや問題集の方が効率も良いし、しっかり学べます。ポイントも良く理解できます。
例えば、英語の正統派(?)の学習方法は、教科書の本文をノートに書いて、単語を調べて、きれいに翻訳をして、完璧に仕上げます。
こう書くのは簡単ですが、ここまでやるのに大変な労力と時間がかかってしまいます。大抵の生徒はここまでできません。なぜなら、熱心な生徒でも、このほかに宿題になるワークをやったり、他の教科の宿題もしなければなりません。
もしここまでやったとして、テストで点が十分取れるか?というと、勉強はがんばったという自覚があるのに、実際はそんなに点は取れないです。
なぜでしょう?
それは、テストに出るところを“覚えて”はいないからです。
さらに応用問題には対応できません。
きっとお役人さんは手際よくやったし一度やったら覚えられたし、その時代はすべきことも少なかったと思うし、やりたいゲームもなかったのでしょうが、現代のほとんどの生徒はそうではないですね。
ゆいまーるも一部デジタル化を導入していますし、いろいろ試しています。
良い方法なら、やはり効果はあります。
「ノートをとる」ということがすでに、前の前のツールという気がしてきます。
これは不要ではなくて、必要なスキルだとは思います(大学では今も講義を聞いて、音の情報だけでノートに記録するわけですから)。
でも、中学高校でメインにする授業スタイルではもうないような気がします。
デジタル化はできるかな?